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【フジ大奥】徳川家重は毒殺された?史実との人物像の違いと今後のストーリーの予想

【フジ大奥】徳川家重は毒殺された?史実の人物像の違いと今後のストーリーの予想 エンタメ
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フジの大奥の第一話を視聴しました。

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1話の初般で家重(高橋克典)は息子家治(亀梨和也)の婚儀にも出席せずに酒を飲んで女中たちと乱痴気騒ぎ、最後には毒殺さえれてしまいました。

さて史実の家重もこのように酒浸りで毒殺されてしまったのでしょうか?

ドラマでの家重と今後の展開について考察してみました。

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9代将軍徳川家重は毒殺された?

結論から言うと家重は毒殺されていません。

48歳で将軍職を引退し、大御所となり49歳で死亡しました。
大御所になってからわずか1年後のことでした。
死因は尿路感染、尿毒症のためと推測されています。

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徳川家重には身体的に障害があった

徳川家重は8代将軍吉宗の長男として江戸の紀州藩邸で生まれています。
吉宗が将軍になったのは家重が5歳の時でした。

徳川家重には生まれつきの障害があり、体も弱く、言葉が不明瞭で他人とのコミュニケーションがとりづらかったようです。
知的障害は全くなく頭は良かっただけにコミュニケーションがとりずらい自分が歯痒かったのか大奥に引きこもっていました。

成長すると酒色に溺れるようになり体も一層弱くなりました。
勉学を怠り「猿楽」にのめり込むようになってしまい、吉宗や周りのものを困惑させました。

家重が悩まされたのは言葉の障害だけでなく、頻尿でした。少しの遠出でもトイレに行く回数が多かったと言われています。亡くなった原因も尿路感染、尿毒症でしたので生涯頻尿に苦しめられたのですね。

世間では「小便公方」と揶揄されていたという史実が残っています。

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父、吉宗と家重の関係は?

吉宗も長男の様子にこのまま将軍職を継がせて良いものか悩んだと言います。
家重には幼い頃から聡明で勉学にも熱心な4歳違いの弟「徳川宗武」(とくがわむねたけ)がいました。

この4歳違いの弟がドラマで陣内孝則さんが演じている田安宗武です。

家臣たちの中には宗武を次期将軍に推すものも少なくなく、家重を廃嫡しようと吉宗に進言するものもいたようです。

徳川家は家康によって「後継に関する無用な争いごとを避けるため将軍は直系の長男であること」という決まりごとがありました。
吉宗はこの決まりを守って家重に将軍職を譲ることにしたのです。

将軍になった家重は「自分を廃嫡」しようとした老中松平乗邑(まつだいらのりさと)を罷免し、2度と謁見することはなかったと言います。

結構執念深い性格だったのですね。

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家治の母、お幸の方と家重の関係は?

家重は御台所に伏見宮邦永親王の第四王女増子女王を迎えます。
この時増子女王は20歳、22歳で女の子を出産しますがまもなく死亡、自身も産後の肥立が悪く亡くなってしまいます。

公武合体として公家から嫁いだ和宮の話が有名すぎて他の将軍は違うのかと思いがちですが、公家からお嫁さんをもらうことは珍しいことではなかったんですね。

家治の産みの母は側室のお幸の方です。お幸の方は正室増子女王のお側付きとして江戸についてきた人物でした。

家重はお幸の方を寵愛し家治が生まれたのですが、その後側室千瀬の方を寵愛するようになり、次第に酒に溺れる生活になっていきます。それを注意したお幸の方を次第に遠ざけるようになっていきました。
そんな中で事件が起きてしまいます。
側室との寝所になんとお幸の方が乱入してしまったのです。これに怒った家重はお幸の方を牢獄に。

吉宗のとりなしでなんとか牢獄からは出られたお幸の方でしたが、二人の仲は戻ることはありませんでした。

家治は母が投獄されたり、家重に冷たくされるのを間近で見ていたでしょうから、父子の間には確執があったと思われます。
また家重も聡明な家治が吉宗に可愛がられるのを面白く思っていなかったのかもしれませんね。

ドラマではお幸の方にキャスティングされている紺野まひるさんの出番がまだありません。
また高橋克典さんが1話だけの出演のわけがないと思います。(そんな勿体無い使い方をしないでしょう)

それに祖父の宗吉(伊武雅刃)もまだ出演がありません。

今後家治の幼少期に両親の不仲で心を傷める話があるのではないかと思われます。

家重は無能だったのか?

障害があるためにその時代の書物などでは評価は低いようですが、大岡忠光や田沼意次など優秀な人物を見抜く力があったこと、自分が障害によって政治がうまく回せないことを見越して優秀で信頼できる人材を自分の側に付ける「側用人制度」(そばようにんせいど)を復活させています。

冷静に自分を判断し、解決法を考える能力があったという評価もあります。

そして、近年家重の遺骨から歴代将軍の中で最も端正な顔立ちだったことがわかっています。

田沼意次との関係は?

田沼意次が小姓から家重の御用人になった話は有名ですが、実はもう一人家重の小姓から側用人になった人物がいます。

それは大岡忠光です。16歳の時から家重の小姓となっていて、家重の不明瞭な言葉を唯一理解できた人物です。

NHKのドラマでは田沼意次が家重の言葉を理解できる人物として描かれていましが、田沼意次と大岡忠光を合わせた人物として描かれていました。

大岡忠光は側用人になった後もその権限を使って横暴に振る舞ったりすことは無くとても真面目な人物だったようです。

しかし残念なことに大岡忠光は52歳で家重より先に亡くなってしまいます。この時家重49歳。
体も壊していて、自分の言葉を理解してくれる唯一の人物を失ってしまったことで将軍職を家治に譲り大御所となります。

話を田沼意次に戻しますね。

意次は父が吉宗の側近であったことから小姓として重用され、家重が将軍になった時に本丸に仕え側近となりました。
家重からその政治力を見出され御側用取次から1万石の大名に取り立てられ出世しました。

家重の信頼も厚く、「意次は正直者であるから、大切にしなさい」と家治に遺言を残しているほどです。
意次が政治の実権を握ったのは家治の時代となります。
ドラマのように家治を脅して無理やり筆頭老中になったわけではないんですね。

「フジ大奥」今後の展開は?

田沼意次と将軍家治との関係がまだ謎になっています。
初回放送前の予告で田沼が「竹千代さまぁ〜」と叫んでいるものがありましたね。
竹千代は家治の子供の時の名前です。

そして1話でも意次の持っている宝船の紋が入った扇子に怯えた様子の家治、そしてフラッシュバックするザンバラ髪、ヒゲの男が映りました。幼少の家治に何があったのか秘密が解明されていくことになるでしょう。

また、吉宗、家重、家治、お幸の方との関係によって「愛を知らずに育った」という家治の性格の根本となった出来事も明かされていくのではないかと思われます。

まとめ

ドラマと史実の違う部分

家重は毒殺された?
× 将軍職を引退した1年後病気で死亡。
家重は酒色に溺れていた?
⚪︎ 若い頃から大酒飲みで体を壊した。側室を超愛し家治の母お幸の方とトラブルに
田沼意次との関係は悪かった
× 優秀な意次を見出し、家治に「意次は正直者であるから、大切にしなさい」と遺言するほど信頼していた。
家重は毒殺された?
× 将軍職を引退した1年後病気で死亡。

家重は健康そう
× 実際は言葉が不明瞭という障害があったがドラマでは描かれていない。よくみると足を引きずっているようにも見えました。

史実とはだいぶ設定が違う家重ですが、これから周りの人物との関わりが明かされていくでしょう。
家治との関係も興味深いですね。
ドラマはドラマとして楽しんでいきたいと思います。

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