いよいよ放送日が迫ってきたフジテレビのドラマ「大奥」ですが予告や共演者の発表がありワクワクしてきますね。
普段仲の良い亀梨くんと宮舘くんのライバル関係というのがとっても気になりますが、史実で松平定信と徳川家治の関係はどうだったのでしょうか?
松平定信はどんな人物だったのか?どんな事をした人だったのか?徳川家治との関係を調べてみました。
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実際の定信はどんな人物だったの?
松平定信は徳川吉宗の孫であり、徳川家治の従兄弟
松平定信は1759年徳川吉宗の次男田安徳川家宗武の七男として誕生しました。
当時武家の家督は長男がとることになっていたのですが田安家では四男までは早逝しているので、六男と七男定信は宗武正妻が養母として大切に育てられました。
家督をついだのは五男の徳川治察。
定信は17歳の時に陸奥白河藩(現在の福島県白河市)の松平定邦の養子となりその娘と結婚しています。
定信は幼少の頃から聡明でした。一方家督をついだ徳川治察が体が弱く、凡庸だったのもあって定信を養子に出すのを反対する声もありました。
しかし将軍家治の命により養子縁組は決定されてしまいます。
これは定信の養父松平定邦が出世を目論み、助力を頼まれた田沼意次による陰謀だったとか、定信が田沼とそりが合わなかったという話があります。
家治が決定を下したというよりは田沼が家治に定信を白河藩に養子に出すべきと進言し、将軍候補から外したのでしょう。
養子が決定してからすぐに徳川治察は亡くなり、田安徳川家は定信の養子の解除を申し出ましたが田沼意次が阻み、叶いませんでした。
養子に出されていなければ将軍家の血筋に近く、聡明だった定信は次の将軍になっていたかもしれません。
どんな性格だった?
定信は多芸多才で、砲術、体術、弓術、絵画、和歌などをきわめていました。
真面目で堅物と評されていますが、隠居後は絵画、和歌など芸術方面に興味を持ち楽しんでいたようです。
また性行為に関しては「子供を成すためのもの」であり、欲望のためではないと記したりしています。
天明3年の東北の大飢饉での白河藩の対応が評価される
1783年に起こった天明の大飢饉で日本国中が米不足になり、庶民の生活は困窮し、打ち壊しなどが横行しました。
白河藩では、飢饉に対して、質素倹約を実践し、食糧を買い込んでおいたことで、領民に食糧を配給するなどして、この危機を乗り切ったことが知られています。
この手腕を買われて田沼意次失脚後30歳の若さで老中に取り立てられることになりました。
質素倹約しすぎで全方位から嫌われてしまう
定信は祖父の吉宗の改革をもとに賄賂の禁止や質素倹約などの政策を進めましたが、お金を使わないことによって経済は悪化、不景気に。そして絵画や芸能など庶民の娯楽まで禁じたので庶民、農民、武士から総スカンを喰らってわずか6年で失脚してしまいました。
その後は白河藩へ戻り藩政に専念し、貧しかった白河藩の立て直しを行い「名君」と称えられました。
松平定信は風邪により体調悪化で72歳で亡くなっています。
結婚と子供について
正室であった松平定邦の娘は亡くなっているのでしょう。継室(後妻)を持っています。
側室は一人なので好色な人物ではなかったと思われます。
妻 | 正室:松平定邦の娘 継室:加藤泰武の娘・隼姫 側室:貞順院 |
---|---|
子 | 定永、真田幸貫、福姫、清昌院、保寿院、寿姫、蓁、松平輝健正室 養女:松平信志正室、宝琳院 |
松平定信役宮舘涼太の役どころは?
宮舘さんが演じるのは、徳川(田安)宗武(とくがわ・むねたけ)の息子で白河藩藩主の松平定信(まつだいら・さだのぶ)。定信も徳川将軍家の血を引く家治のいとこで、主人公、五十宮倫子(小芝風花)と家治の婚儀にも顔を見せます。定信は幼い頃に養子に出された過去があり、今も胸の内にある思いを秘めており、家治とはライバル関係にあります。そして、家治の正室となる倫子に対してもある思いを抱えていて…。
大奥公式サイトより
プライベートでは仲の良い先輩、後輩の関係である亀梨くんと宮舘くんですが、ドラマではライバル関係となると言うことで、どんなバトルになるのかとても興味がわきますね。
家治の正室となる倫子に対してもある思いを抱えていて…。
え?まさかの三角関係に?
もしくは倫子を使って家治の失脚を企んていたりして?
松平定信がどのようにサイドストーリーに絡んでくるのか楽しみですね。
宮舘涼太のコメントから見るドラマの定信のキャラクターは?
インタビュー時点ではまだ脚本も前半して出来上がっていないようでした。
舘様の感想としては下記のように語っています。
⚫︎前半はいい人
⚫︎定信はとてもクールな印象。
⚫︎力強く人を愛する気持ちと、父親を尊敬する気持ち、自分に対する気持ちがあり、どこか独りよがりなところがあるのも定信の特徴
インタビューは撮影が始まったばかりの頃ですので脚本も前半しか読んでないそうですね。
その後どうゆう展開になっていくのか楽しみです。
舘様は2023年1月6日から新橋演舞場で上演された「初春歌舞伎公演 市川團十郎襲名記念プログラム『SANEMORI』」に出演出演していましたがこれが二回目の歌舞伎出演。
一回目は2021年同じく当時海老蔵と名乗っていた市川團十郎さんの「ABKAI」に出演しています。
2度目もお声がかかるなんてきっと舘様が気に入ったのでしょうね。また真面目に取り組む姿が評価されたのだと思います。
歌舞伎のお稽古には和服(浴衣)なので所作や着物の着こなしは手慣れたものでしょう。
家治と定信の関係は?ドラマの設定との違い
徳川家治は1737年6月20日生まれ
松平定信は1759年1月25日生まれ
なので二人には22歳の年齢差があります。
従兄弟であるとはいえ、17歳で白河藩に養子に出されてしまった定信は家治と将軍の座をめぐっての争いはなかったと思われます。
定信が6歳の時に、田安徳川家が火事になり、一時江戸城の本丸に住んでいたことがあったので親交はあったのかもしれません。その時家治は28歳で、すでに将軍でした。親子ほどの歳の差ですからあまり接点はなかったのではないかと思われます。
その後、家治が定信の養子縁組の決定をしたので次期将軍候補から外れてしまったという恨みはあったのかもしれませんね。
まとめ
松平定信は政治的には徳川家治よりも有名ですので長くなってしまいましたがいかがでしたか?
これでもすご〜くはしょっていますw
松平定信は賢く、真面目で武術に長けた人物でした。
定信が老中として活躍したのは家治が亡くなり、田沼意次が失脚した後となります。
実際ライバル(敵)だったのは家治ではなく田沼意次だったのでしょう。
なんといっても家治が将軍になったのは定信が1歳の時でしたからね。史実ではライバルなどと呼べる関係ではありません。
ドラマはドラマですから史実とは別に楽しむのがいいですよね。
亀梨くん、舘様の番宣もありそうで楽しみです。