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【ブラッサム】父はなぜ作文を褒めた?カナリヤ逃亡に激怒した理由と心情を考察

【ブラッサム】父はなぜ作文を褒めた?カナリア逃亡に激怒した理由と心情を考察 2026秋ドラマ
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NHK朝ドラ『ブラッサム』第4話で、珠が書いた「父について」の作文を聞き、大喜びした父・清治。ところが、カナリヤが逃げると一転して激しく怒ります。

なぜ、自分を決して良く書いていない作文を褒めたのでしょうか。そして、カナリヤが逃げてしまったことにあれほど動揺したのはなぜなのか。

2つの場面から、自由奔放に見える清治が抱える孤独や窮屈さ、その心情を考察します。

この記事を読んでわかること

  • 清治が珠の作文を褒めた理由
  • カナリヤが逃げて激怒した理由
  • 「窮屈そうじゃのう、お前も」の意味
  • 清治が理不尽で怖く見える理由
  • モデルとなった宇野千代の父との共通点と違い
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『ブラッサム』父清治はなぜ作文を褒めた?

清治が作文を褒めたのは、珠が父の顔色をうかがわず、良いところも悪いところも含めて自分をきちんと見ていたことが嬉しかったからではないでしょうか。

珠は父を良く見せようとしなかった

珠が書いた「父について」の作文は、父親を持ち上げる内容ではありませんでした。

仕事らしい仕事をせず、放蕩無頼といわれる清治の姿を、自分が普段見ているままに書いています。

しかも珠にとって清治は、何をきっかけに怒り出すか分からない怖い父です。

父本人の前で読むとなれば、少しくらい良く書いておこうと思っても不思議ではありません。

それでも珠は、清治の顔色をうかがって作文を書き換えませんでした。

清治が喜んだのは、悪く書かれたことを面白がったということもありますが、珠が誰かに合わせるのではなく、自分の目で見た父を書いたことだったのではないでしょうか。

珠は清治の寂しそうな一面まで見ていた

珠は清治の放蕩ぶりだけを見ていたわけでもありません。

カナリヤを見つめる父の、普段とは違う物悲しそうな表情にも気づいていました。

いつも威圧的で好き勝手に振る舞っているように見える清治にも、誰にも見せない顔がある。

珠はそこまで見ていたのです。

清治にとっては、自分を良い父親として褒められることよりも、娘が表面的な姿だけでなく、自分の内側まで見ていたことの方が嬉しかったのかもしれません。

だからこそ、怒るどころか、あれほど誇らしそうに作文を褒めたのではないかと思っています。

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『ブラッサム』父がカナリヤを逃した事に激怒した理由は?

清治がカナリヤに激しく動揺したのは、かわいがっていたからだけでなく、自分自身の窮屈さをカナリヤに重ねていたからではないでしょうか。

私には清治が怒っているというより焦っているように見えました。

その矛先が珠に向かったのだと思っています。

「窮屈そうじゃのう、お前も」は自己投影だった?

清治は鳥籠の中にいるカナリヤに、

「窮屈そうじゃのう、お前も」

と語りかけています。

注目したいのは「お前も」です。

カナリヤが窮屈そうだと言うだけなら、「窮屈そうじゃのう」で十分です。

あえて「お前も」と付けたことから、清治自身も何かに縛られていると感じているように聞こえます。

清治は働かず、自分の好きなことをして暮らしています。

一見すると誰よりも自由です。

しかし、葉野酒造の家督を弟・清重に譲ったあとも本家との関係は続き、生活も本家からの援助によって成り立っています。

自由奔放に見える一方で、完全に家から離れて生きているわけではありません。

そんな自分自身を、籠の中のカナリヤに重ねていたと感じていました。

清治は自由ではないのです。本当は本家の庇護から抜け出せない弱い人間に私に見えています。

籠の外に出れば本当に自由なのか

では、なぜカナリヤが籠から逃げたとき、清治は「自由になれてよかった」と思わなかったのでしょうか。

ここにも清治の心情が表れているように思います。

人に飼われてきたカナリヤにとって、籠の外は自由な世界である一方、餌も安全も保証されない場所です。

籠は窮屈でも、籠の外では生きられないかもしれない。

清治もまた、本家という「籠」に窮屈さを感じながら、その本家からの援助を受けて暮らしています。

飛び出したくても、完全には飛び出せない。

清治自身が心のどこかでその現実を分かっていたとすれば、カナリヤは外では生きていけない。

見つけて庇護しなければ。という思いが強かったのだと感じています。

「捕まえてこい」という激しい反応には、大切な鳥を失った怒りだけでなく、自分を重ねていた存在が籠の外へ出てしまったことへの不安や動揺もあったのだと思っています。

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『ブラッサム』清治はなぜ理不尽で怖い?

清治の理不尽な怖さには、家督を譲ったことへの誇りと、本家から離れ切れない現実との間に生まれた屈折が関係していると考えられます。

私にはただの理不尽にでしかない父親であり、彼が画面に出てくると珠たちを同じように「怖い」と感じていました。

今回の作文の件もどうなることかと「ハラハラ」と見てしまいまいました。

ドラマの清治は、葉野酒造の長男でありながら、足を悪くした弟・清重に家督を譲っています。

清治には、

「自分が身を引いたから弟が家を継げた」

という強い自負があるように見えます。

ところが現在は仕事をせず、自分が譲った本家から生活費を受け取っています。

つまり清治の中には、

「自分は弟のために家督を譲った」という誇りと、「その本家に頼って生活している」という現実が同居しています。

このねじれは、清治にとってかなり複雑なものではないでしょうか。

働かずに本家に頼りきりなのは彼が心の奥底で傷ついているのだとおもています。

周囲から働かない男として見られることにも、本人なりの反発や屈辱がありそうです。

清治が怖く見えるのは、単に威圧的だけではなく、強い誇りや窮屈さを抱えながら、それを言葉で説明せず、自分の価値観を家族にも求めてしまうからではないでしょうか。

作文を褒めた清治と、カナリヤを逃がされ動揺を怒りとして表した清治。

一見まったく違う反応ですが、どちらにも「自分をどう理解しているか」「自分にとって大切なものは何か」という清治独特の価値観が表れているように思います。

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『ブラッサム』清治のモデル・宇野俊次も厳しい父だった?

宇野千代の実父・宇野俊次も子どもには非常に厳しい父親でしたが、ドラマの清治とは異なる設定もあります。

宇野千代生家によると、俊次は自ら道楽を楽しむ一方、子どもには非常に厳しい人物でした。

宇野千代さんは父との関係について「対話は父の命令と私の答えだけにかぎられた」と振り返り、教育についても「峻厳そのもの」「スパルタ式」と表現しています。

雪の日には「草履は腐るが足は腐らん」と言い、千代を裸足で学校へ行かせたことはドラマのエピソードでも語られていましたね。

一方で俊次自身は、馬を何頭も飼って競馬に出し、博打をするなど、千代が「あらゆる道楽をし、放蕩を極めた」と振り返る人物でした。

宇野千代の人生と文学|NPO宇野千代生家

子どもには厳しいのに、自分自身は自由奔放だったという点は、ドラマの清治とも重なります。

ただし、大きく違うのが家督の設定です。

実在の宇野俊次は造り酒屋に生まれた7人きょうだいの次男でした。

ドラマでは、清治を「葉野酒造の長男で、弟のために家督を譲った人物」としています。

つまり、清治が抱えていると考察した「家督を譲った誇り」や「本家との関係から生まれる屈折」は、実在の宇野俊次の経歴をそのまま描いたものではありません。

史実にある厳格で放蕩な父親像を土台にしながら、ドラマでは清治に「自由を求めながら家から離れ切れない」という別の心情が加えられているように見えます。

ちなみにカナリヤのエピソードですが、宇野千代さんに本当に怒った出来事です。

カナリヤの件での清治の怒りように後妻のリュウが実家に帰ってしまい珠が迎えに行き離婚の危機を逃れたというエピソードが語られています。

カナリヤが見つかったかどうかは語られていませんが、この出来事が千夜とリュウの絆をより一層深めたことは間違い無いでしょう。

まとめ

『ブラッサム』の清治が珠の作文を褒めたのは、父の顔色をうかがって良いことを書くのではなく、珠がありのままの自分をきちんと見ていたことが嬉しかったからではないでしょうか。

また、「窮屈そうじゃのう、お前も」という言葉から、清治がカナリヤに自分自身を重ねていた可能性も見えてきます。

自由に生きているようで、本家との関係から完全には離れられない清治。

その誇りや窮屈さ、独特の価値観が、家族には理不尽で怖い言動として映っているのかもしれません。

今回削ったのは、主に**「自由そうに見えて自由ではない」「本家から離れられない」などを各章で何度も説明していた部分**です。作文=「理解される喜び」、カナリヤ=「自己投影」、怖さ=「価値観と屈折が家族にどう現れるか」と役割を分けました。

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