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寅子が披露宴で歌ったのは「モン・パパ」原曲を歌っていたのはウギウギのあの人!

寅子が披露宴で歌ったのは「モン・パパ」原曲を歌っていたのはウギウギのあの人! 2024年4月期ドラマ
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4話で寅子が親友、兄の結婚披露宴で歌を披露しましたね。

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伊藤沙莉さん、歌のお上手ですが、この曲全く知らなくて…。

歌詞がママが強くてパパが弱いという歌詞で寅子の家にもハマっていましたよね。

さて、この歌のタイトルや誰が歌っていたのか調べました。

この記事では

「モン・パパ」の原曲は?

「モン・パパ」を歌っていたのはウギウギのあの人!

寅子はなぜこの曲を歌ったのか?

について書いています。

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「モン・パパ」の原曲は?

虎に翼で寅子が歌ったののは原曲のタイトルは「C’est pour mom Papa」で日本語タイトルは「モン・パパ」です。

原曲はフランスのシャンソン歌手のジョルジュ・ミルトン(Georges Milton)が歌った曲。

ジャンルはシャンソンです。

この歌はフランスで1930年公開ジョルジュ・ミルトンの映画「巴里っ子(Le roi des Resquilleurs=タダ見の王様)」の中で歌われた曲

昭和6年に日本でも公開されました。

映画のあらすじ

一文なしのパリっ子ブゥブゥルは抜け目のない性格で々色なイベントにチケット無しで入り込むことを常習としていました。

ある日ウェルター級拳闘選手権争奪試合の競技場へ何をして潜り込んだかブゥブゥルは試合見物中の美しい娘ルルと知り合い恋に落ちてしまいます。

彼女に猛アタックを開始するが、一文無しの彼は無銭入場を繰り返し、見つかってしまします。

それを逃れるために放送局の吹込室に跳び込み、苦しまぎれに得意の唄を歌って聴衆の喝采を浴び、ルルはそブゥブゥルを面白い人と認識しますが、彼女の母親に猛反対にあってしまいます。

ルルが英仏対抗ラグビーの試合を観戦に入ったのを見届けたブゥブゥルはいつものように無線でもぐり込みましたが、慌てたのか選手席に座っていたので、選手と間違えられて試合に出場せねばならぬ破目となってしまいます。

ブゥブゥルの一蹴りが怪我の功名となって、フランス側の勝利。当日のヒーローとなったブゥブゥルはルルの心をも勝ち得ることができました。

内容を見ると多分コメディでしょうが、なんともな内容ですね。

その劇中に歌われていた2曲のうちの1曲が「C’est pour mom Papa」でした。

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「モン・パパ」を日本で最初に歌ったのは宝塚歌劇団

昭和の初期には宝塚歌劇団がシャンソンに目をつけて演目として取り入れていました。

昭和2年にレビュー「吾が巴里よ」で「モン・パリ(Mon Paris)」

昭和5年にレビュー 「パリ・ゼット」で「すみれの花さく頃 Quand refleuriront les lilas blanc)」

でシャンソンを披露しています。

モンパリは今でも上演される演目の一つですし、すみれの花咲く頃は宝塚の校歌として有名ですね。

そして昭和6年、レビュー「ローズ・パリ」で「モン・パパ」が歌われました。

うちのパパと うちのママが話すとき
大きな声で怒鳴るは いつもママ
小さな声で謝るのは いつもパパ
古い時計 いつもパパ
大きいダイヤモンド それはママ
パパの大きなものは一つ
靴下の破れ穴
(白井鐵造訳)

宝塚では大町かな子さんが歌っていますが、発売されたレコードは、娘役のスターだった三浦時子が吹き込んでいます。

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「モン・パパ」を大ヒットさせたのはウギウギにも出ていたあの人!

宝塚歌劇団の歌う「モン・パパ」は、映画「巴里っ子」の人気もあり、ヒット曲ととなりました。

でも対抗馬として昭和7年ビクターレコードより「モン・パパ」が発売されました。

これを歌っていたのはエノケンこと榎本健一さんと二村定一さんです。そしてこちらのバージョンが大ヒットしました。

そうですエノケンは昭和の喜劇王「ウギウギ」で生瀬勝久が棚橋健二、として演じていた通称「タナケン」のことです。

こんなところでも繋がっていて感慨深いですよね。

宝塚版とは少し歌詞も違いました。

うちのパパとうちのママと喧嘩して
大きな声で怒鳴るは いつもママ
いやな声で謝るのは いつもパパ
うちのパパ 毎晩遅い
うちのママ ヒステリー
暴れて怒鳴るは いつもママ
はげ頭下げるは いつもパパ

(訳詞者不詳)

意味合いとしては宝塚版とは同じですが、「うちのママヒステリー」など表現が宝塚版より過激で楽しいホームソングになっています。コメディアンの榎本の技量なのかもしれませんね。

虎に翼で歌ったのは歌詞からエノケンバージョンだと思われます。

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なぜ披露宴でこの歌を歌ったのか?

寅子は披露宴でなぜこの歌を歌ったのでしょう?

この歌詞を見ると家庭では女性が強くて、男性は立場が弱いと思わせるものですよね。

寅子は女性は言いたいことも言えず、男性からはどんなに有能でも無能力とされ存在すら認められないという生きづらさを知って心の奥底では結婚を望んでいませんでした。

この「モン・パパ」は一見女性が家の中では最強という歌詞ながらどこか女性をからかっているようなニュアンスを感じられますよね。

寅子は皮肉を込めてあえてこの曲を選んだのではないでしょうか?

ドラマのナレーションでは寅子の心情を下記のように言っています。

「お母さんのいう通り結婚は悪くない。とはやっぱり思えない。

なぜだろう、親友の幸せは願えてもここに自分の幸せがあるとは到底思えない。

なんだ?したたかって。

なんで女だけニコニコとこんな周りの顔色を伺って生きていかなきゃいけないんだ?

なんでこんなに面倒なんだ?

なんでみんなこんなスンってしているんだ?

なんでなんだ?怒りのこもった寅子の熱唱は迫力があったと参列者にとても好評でした」

寅子の心の声が響きますが会場にいる誰一人もそれに気づいていたないのでしょうね。

そしてこの歌の歌唱中は男性がノリノリに対し女性陣は楽しげにはしていますがどこか「スン」っとしているのが印象的でした。

まとめ

「モン・パパ」の原曲はフランスの映画の挿入歌。フランスのシャンソン歌手のジョルジュ・ミルトンが映画の中で歌った曲でした。

「モン・パパ」を最初に歌ったのは宝塚歌劇団の劇中でレコードを出しましたが、後発でレコードを出した喜劇王「エノケン」の歌唱の「モン・パパ」が大ヒット。この絵曲は歌詞が微妙に違っていてエノケンの方が過激になっています。

寅子はなぜこの曲を歌ったのか?思い通りになるのは家庭だけという内容なので女性が世間では全く認められず、生きづらい世の中に対し皮肉として歌ったのではないでしょうか?

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