本ページはプロモーションが含まれています

喪主が長島三奈なのはなぜ?長嶋茂雄さんと一茂の不仲説は本当なのか検証!

喪主が長島三奈なのはなぜ?長嶋茂雄さんと一茂の不仲説は本当なのか検証! 人物
スポンサーリンク

「長嶋茂雄さんの葬儀で、喪主を務めたのは次女の三奈さん。『長男の一茂さんでは?』と感じた方も多いのではないでしょうか。実際、SNSでも驚きの声が相次ぎました。

実はこの背景には、時代の変化と家族の複雑な関係性が影響していたようです。

この記事では、その理由や背景について詳しく解説します。

この記事を読んでわかること

  • 長嶋三奈さんが喪主に選ばれた理由
  • 長嶋家にまつわる過去の確執とは
  • 喪主選びにおける現代的な考え方
スポンサーリンク

なぜ喪主は長男・一茂さんではなかったのか?

一般的には「長男=喪主」という常識

かつては「家長=長男=喪主」という考え方が主流でしたが、現在では「故人に最も寄り添った人」が務めることが多くなっています。

スポンサーリンク

長島三奈さんが喪主に選ばれた理由

父の介護を一手に引き受けてきた存在

長島三奈さんが喪主を務めた理由として、最も大きいのが“長年にわたる父・茂雄さんへの献身”です。2004年に長嶋茂雄さんが脳梗塞で倒れて以降、三奈さんは母・亜希子さんと共に懸命に看病を続けてきました。

リハビリの付き添いや日常生活のサポートに加え、食事や移動の補助など、細やかな介助も行っていたとされています。

そして2007年に母・亜希子さんが亡くなってからは、その役割は三奈さんに。

父の身の回りの世話をするだけでなく、公の場に姿を見せる際の準備や対応、スケジュール管理まで担い、まさに“右腕”として支え続けてきました。

一茂さんをはじめとする他の家族が距離を置く中で、長嶋茂雄さんと常に寄り添っていたのが三奈さん。看病という枠を超え、人生の最後の時間を共に過ごした存在だからこそ、喪主という大役を任されたのは自然な流れだったのかもしれません。

今では「介護していた人が喪主になる」ことも珍しくなく、時代の変化を象徴する出来事とも言えるでしょう。

オフィスエヌ代表として「家の顔」に

三奈さんは、父・長嶋茂雄さんの個人事務所「オフィスエヌ」の代表を長年にわたり務めてきました。この事務所は、茂雄さんの肖像権管理やブランドイメージの維持、メディア対応などを担う重要な拠点であり、その運営を任されていた三奈さんは、事実上の“家の窓口”としての役割を果たしていたのです。

プロ野球界のレジェンドであり、国民的英雄でもある長嶋茂雄さんに関する問い合わせや調整は、球界関係者や報道陣をはじめ多方面から寄せられていました。

その都度、丁寧に応対し、適切に判断・対応してきた三奈さんは、ビジネス面でも極めて信頼される存在でした。

今回の葬儀においても、メディアや関係者との連絡窓口を担えるのは彼女しかいない、というのが多くの人の一致した見方だったのでしょう。喪主という重要な役割も、まさに彼女にふさわしい任務だと言えます。

スポンサーリンク

一茂さんが喪主にならなかった背景

父との長年の距離と断絶

長嶋一茂さんが「父とは13年会っていない」と告白した背景には、親子間の深い確執が存在していました。

2021年に雑誌『ゲーテ』で一茂さんは、2008年頃から父・長嶋茂雄さんや妹・三奈さん、弟たちとも連絡を取っていないことを明かし、「生きているうちに父と会うことは、もう二度とないだろう」と述べています。

また、一茂さんは、「ざわつく金曜日」で「遺産相続は放棄している」と明言しており、家族との関係修復よりも自身の道を選んだ姿勢が伺えます。

このような背景から、喪主を妹の三奈さんが務めたことは、自然な流れだったものと思われます。

過去には商標権トラブルも

この断絶の一因とされるのが、2009年に発生した「長嶋茂雄」の商標権を巡るトラブルです。

一茂さんの個人事務所「ナガシマ企画」が、父の名前を商標登録しようとしたことに対し、茂雄さんは「騙し討ちにあった」と主張。

この件で、妹・三奈さんが代表を務める「オフィスエヌ」との間で対立が深まりました。

さらに、一茂さんが父の記念品や母・亜希子さんの遺品を無断で売却したとされる問題も報じられ、家族間の溝は一層深まったとされています。

これらの出来事を経て、茂雄さんは「オフィスエヌ」を通じて肖像権の管理を行い、一茂さんを関連ビジネスから排除する旨の通知を関係者に送付しました。

この対応により、親子の関係は決定的に断たれたとされています。

スポンサーリンク

一茂は父茂雄さんと不仲だったというのは本当?

長嶋親子の不仲は子供の頃から?

長嶋一茂さんは、メディアなどでもたびたび「父との関係は距離があった」と語っています。

父・茂雄さんは現役のプロ野球選手から監督、そして国民的スターとして多忙な日々を送り、一茂さんが幼少期のころはほとんど家にいない生活だったようです。

一茂さんは2021年11月放送の『ザ・ボイス』(ABEMA)に出演した際、次のように発言しています。

「父は家にほとんどいなかった。野球と仕事がすべてで、家族と何かをするという感覚はなかった」

この発言からも、幼少期から父親の存在が「遠いもの」としてあったことがわかります。

「父の影」に苦しんだ野球人生

一茂さんは1987年、立教大学からドラフト1位でヤクルトスワローズに入団。当時は“ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄の息子”としてメディアの注目を集め、「スターの二世」として大きな期待がかけられました。

しかし、彼は後にテレビ番組などで「野球が好きでやっていたわけではなかった」「父の存在が重荷だった」と率直に語っています。

また、父・茂雄さんは現役引退後も読売ジャイアンツの監督など要職にあり、息子がヤクルト→巨人と在籍した際も、常に比較やプレッシャーが付きまとったようです。

ある関係者は「一茂さんは“自分は自分”と割り切ろうとしていたが、報道や周囲がそれを許さなかった」と証言しています。

コーチ役としての父にも距離感

野球指導においても、父子の関係は近いようで遠かったとされます。

実際、プロ入り後に茂雄さんから打撃指導を受けたことはあるものの、一茂さんは後年のインタビューで「技術より精神論を重視されて、かえって混乱した」と語ったこともありました。

父のアドバイスを素直に受け入れられないほど、心理的な距離があったことがうかがえます。

不仲の決定的な証言

2018年放送の『ザワつく!金曜日』などで、一茂さん自身が「父とは野球に関してちゃんと会話をした記憶がない」「褒められたことも一度もない」と明かしています。

こうした発言からも、野球選手としてのキャリアの中でも父と“選手と監督”のような関係ではなかったことが読み取れます。

父長嶋茂雄は一茂をどう思っていたのか?

長島茂雄さんは特に息子に関しての発言はしていません。

自分の引退試合に一茂さんに内緒で始球式をさせようと打診しましたが、一茂さんは「恥ずかしい」と断ってしまったというエピソードがあります。

これを読むとやはり「父親としての茂雄さん」の心情が垣間見ます。

喪主選びは「立場」ではなく「関係性」へ

時代とともに変わる家族観

現代の日本社会において、喪主の選定は従来の「家督を継ぐ長男が務めるべき」といった形式的な考え方から、故人との関係性や遺族の事情を重視する方向へと変化しています。

  • 長男が遠方に住んでいる場合
  • 葬儀の準備に参加するのが難しい場合
  • 個人との関係が深い人が喪主を務める場合

このように、現代における喪主の選定は、形式的な立場よりも、故人との関係性や遺族の事情を重視する傾向が強まっており、家族の多様性や柔軟な考え方を反映しています。

以上のことを考えると長女の三奈さんが喪主を務めるということは自然の流れと言えるでしょう。

一茂さんの選択も“家族の一つのかたち”

一茂さんは「かなり前に遺産相続を放棄している」とも語っており、これは「父の影に生きるのではなく、自分の人生を生きたい」という意志の表れと考えられます。

今まで離れて生活をしてきたことを考えるならば一番茂雄さんのそばにいた三奈さんを労う意味でもこの選択をしたのではないでしょうか?

まとめ

長嶋茂雄さんの葬儀で喪主を務めるのは、次女・長島三奈さんです。

「なぜ長男の一茂さんではないのか?」と疑問に思った方も多いでしょう。

実は、三奈さんは長年にわたり父の介護を支え、事務所代表としても家族を実質的に取りまとめてきた存在。

一方の一茂さんとは、生前から親子間に確執があると報じられてきました。

こうした背景から、父との信頼関係や生活を共にした実績が重視され、三奈さんが喪主に選ばれたと考えられます。現代では、必ずしも長男が喪主になるとは限らず、故人との関係性や貢献度が重視される傾向も強まっています。