ドラマ『ぼくたちん家』第4話で、及川光博さんが劇中で披露した「にじ」。
その穏やかで温かい歌声に「どこかで聴いたことがある」「フルで聴きたい!」という声がSNSで急増しています。
この記事では、玄一が歌った「にじ」の原曲情報、歌詞の意味、そしてフルで聴ける方法を詳しく紹介します。
この記事を読んでわかること
- 『ぼくたちん家』4話で玄一(及川光博さん)が歌った曲名
- 原曲のアーティスト・リリース情報
- 歌詞の意味やシーンとの関連
ぼくたちん家4話で玄一(及川光博)が歌った曲は「にじ」
ドラマ第4話で波多野玄一(及川光博さん)が弾き語りした曲は、「にじ」という童謡です。
原曲は「新沢としひこ」さんが作詞し、「中川ひろたか」さんが作曲した名曲で、1990年代以降、全国の小学校や保育園でも歌い継がれています。
作られたのはなんと30年前なんですね。
及川光博さんの優しい歌声とギターの音色に合わせ、ドラマではほたる(白鳥玉季)が幼い頃の家族の記憶を思い出し母親の留守番電話に話すシーンが描かれました。
幼い頃父と母と3人で行ったダムの風景。
ダムカレー、家族で笑っていた日々——それは、もう戻らないけれど確かに“あった”時間。
この曲が流れることで、視聴者にも“なくなったってことは、あったってこと”という玄一の言葉が、より深く響く構成になっていました。
この曲を聴いて「あれ_聴いたことがある」と思った人も多いのでは?
2020年1月
「花王 アタックZERO「お正月」篇」CMソング
2020年8月
「明治プロビオヨーグルト R-1」CMソング
として使用されていることもあり耳に残っているのだと思います
童謡「にじ」の歌詞
(著作権保護のため全文転載はできませんが、以下のように一部引用・解説します)
「にわのシャベルが いちにちぬれて
あめがあがって くしゃみをひとつ」
日常の小さな出来事を通して、雨上がりの空にかかる“にじ”を希望にたとえた曲です。
つらいことの後には、必ず光が差す——そんなメッセージが、ドラマのテーマ「失っても、それは確かにあった」につながっています。
及川光博の歌声が響いた理由|“にじ”が持つ象徴的意味
このシーンで注目されたのは、及川光博さんの繊細な表現力です。
彼が演じる玄一は、孤独と優しさを併せ持つ人物。
その彼が「にじ」を一人で弾き語る姿は、人の気持ちのわかる心やさいいゲイという玄一と及川さんがピッタリと合わさって心に響くものがありました。
SNSでは以下のような感想が見られました。
てごたい💖
— 苺みるく🫡🖐💋 (@clover_ichigo) November 3, 2025
「にじ」🎶
ほたるの思い出の歌
私も同じく子どもが小学生の時に
音楽会で手話付きで披露してくれた。
ぼくたちん家。。🏠
昔の話、お菓子、歌、言葉
見てる側と何かどこかで繋がっていてウンウン!と共感できるドラマ@YuyaTegoshi1054#手越祐也 #てごたい#ぼくたちん家
索たん♡ pic.twitter.com/QMzFwmkxa7
ラスト、の玄一さんの歌、ずるいです。
— ちぐさ (@chigusa8731) November 3, 2025
ゲイでおじさんだからこそ、
色々な思いを経験してきたからこそ、
あんなに優しくて健気な方なんだろう、
そうやって生きていくしかなかったんだろう。
マイノリティの方を単に頑張ってでいい人と
描いていないのが素晴らしいです。
#ぼくたちん家
にじの歌で泣ける日がくるとは思わなかった
— 想看漂亮的 (@xiangkanpiao) November 2, 2025
いい方向に考える、なかなかできないけど、そう考えることにしてみよう
#ぼくたちん家
おほたるが無くしたと思っていた「家族の記憶」と索の言葉の意味
「失ったってことは、確かにあった」——索の言葉が伝えるもの
第4話の終盤、索(手越祐也)はほたるに「失ったってことは、確かにあったってことだよ」と優しく伝えました。
このセリフは、玄一(及川光博)が以前に口にした「なくなったってことは、あったってこと」という言葉の引用です。
大切なものを失ったとき、私たちは「もう何も残っていない」と感じてしまいます。しかし、この言葉は「思い出が消えたわけではない」「その時間が確かに存在した」という“記憶の証”を思い出させるものです。
ほたるにとって家族は、もう戻らない過去でした。父・仁(光石研)には裏切られ、母・ともえ(麻生久美子)も姿を消した。
それでも、幼い頃に家族で食べたダムカレーや、一緒に歌った歌、笑い合った日々——それらは確かに「存在した家族の記憶」です。
索の言葉を通して、ほたるは“無くしたと思っていた過去”をもう一度、心の中に取り戻していくのです。
この場面で流れるBGMは、玄一がギターで弾き語った「にじ」。
歌詞の中には「きっと明日はいい天気」というフレーズがあり、これは「今はつらくても、希望を信じて生きていこう」というメッセージを感じさせます。
「失う」ことで「確かにあった」と気づく。その気づきこそが、ほたるにとって“再出発”の第一歩だったのではないでしょうか。
「雨のあとに虹が出る」——2人がそれぞれ見つけた再生の兆し
第4話のラストで流れたBGM「にじ」は、
ただの挿入歌ではなく、登場人物それぞれの“心の再生”を象徴していました。
ほたる(白鳥玉季)は母の留守番電話に、
こう語りかけます。
「もしもしお母さん。お母さんはさ、3人でダムに行ったの覚えてる?
その車の中でみんなでおっきい声で歌ったよね。
何の曲か忘れちゃったけど、あれめちゃくちゃ楽しかったな。
きっともう2度と3人で出かけることも、カレー食べることも、歌うこともないと思うけど、
あの時間はちゃんとあったんだと思うよ。お母さんの思い出もいつか聞かせて。じゃあ、またね。」
(日本テレビ『ぼくたんち』第4話〈2025年11月2日放送〉より)
この“過去を受け入れる言葉”の背景で流れるのが「にじ」。
また索(手越祐也)は同じ時間、元恋人の家を訪ね、「未練があるのか」と問われて「ないない」と答えます。
彼もまた、自分の中の“過去”を静かに手放した瞬間でした。
玄一が二人とが直接交わることはない場面ですが、それぞれが“雨のあと”に小さな虹を見つけるような構成になっています。
この対比によって、「にじ」という曲が持つ“悲しみの先にある希望”というメッセージがいっそう鮮やかに浮かび上がります。
つまりこのシーンは、“家族を失った少女”と“恋を失った青年”の、それぞれの「さよなら」と「はじまり」を描いたラストだったのです。
きっと玄一が彼らにとって気持ちが晴れるきっかけとなる「にじ」の象徴だったのではないでしょうか?
『にじ』が選ばれた理由|誰もが知る歌が呼び起こす“記憶”の力
『にじ』は、子どもから大人まで幅広く知られている合唱曲です。
幼稚園や小学校で歌った人も多く、「懐かしさ」や「安心感」を呼び起こす楽曲として、世代を超えて親しまれています。この“誰もが知る歌”であることが、第4話のテーマと深く重なっています。
作中でほたるが思い出したのは、家族3人で車の中で歌った時間でした。きっとその歌はこの「にじ」という歌だったのではないでしょうか?
それは“特別な出来事”ではなく、日常の中の小さな幸せ。だからこそ、あの歌が流れたとき、視聴者自身も“自分の家族の記憶”を自然と思い出してしまうのです。
また、『にじ』の歌詞には「きっと明日はいい天気」という希望の言葉があります。
失ったものを抱えながらも前に進もうとする物語のメッセージと重なり、過去を受け入れて未来へ向かう“心の再生”を象徴しています。
そして歌を弾き語りで届けたのは、及川光博さん演じる玄一。彼自身がミュージシャンでもあることを考えると、音楽で寄り添う存在としての象徴的な役割を持たされていたことがわかります。
つまり、『にじ』は“父の愛”と“家族の記憶”をつなぐ鍵として配置された楽曲だったのです。
まとめ|玄一が歌っていたのは「にじ」。つないだ思い出と再生の物語
『ぼくたちん家』第4話で玄一が歌った「にじ」は、単なる挿入歌ではなく、登場人物たちの感情をつなぐ重要なモチーフとして描かれていました。
ほたる(白鳥玉季)は、母に残した留守電の中で「きっともう3人で出かけることはない」と言いながらも、「あの時間はちゃんとあった」と過去を受け入れます。
一方、索(手越祐也)は元恋人への未練を断ち切り、新しい一歩を踏み出します。
二人の心の変化が、“雨のあとに虹が出る”という曲のメッセージと重なっていました。
『にじ』が選ばれた理由は、誰もが一度は口ずさんだことのある懐かしい曲だからです。
特別ではない日常の中にある幸せを思い出させることで、視聴者自身の記憶にも優しく触れる力を持っています。
この回のラストに流れる「にじ」は、失われた時間を悲しむのではなく、「確かにあった」思い出として受け入れる物語のテーマそのもの。
ほたると索がそれぞれの“雨”を越えて前に進んだように、視聴者にも「きっと明日はいい天気」と感じさせる温かな余韻を残すエピソードでした。
