ドラマ『クジャクのダンス、誰が見た?』の第9話で鳴川が警察に自首した展開は、多くの視聴者に驚きを与えました。しかし、原作では鳴川は逮捕される結末を迎えています。この変更にはどのような意図があったのでしょうか?
本記事では、ドラマと原作の違いを徹底比較しながら、鳴川のキャラクターや物語のテーマにどのような影響を与えたのかを解説します。
この記事を読んでわかること
- 鳴川の自首と原作の逮捕の違い
- 鳴川のキャラクター設定の変更点
- 事件への関与の違い
- 鳴川と阿南の親子関係の描かれ方
- ドラマ版が自首という展開を選んだ理由
鳴川の自首と原作の逮捕の違い
原作では鳴川は逮捕される
原作では、鳴川は赤沢をマンションから突き落とした罪により、逮捕される展開となっています。具体的には、鳴川は京子が赤沢に睡眠薬を飲ませた後、マンションのベランダから突き落とすという凶悪な犯行に加担します。しかし、赤沢は下に停まっていた車の上に落ちたため、一命を取り留めます。
また、鳴川が逮捕された理由の一つとして、彼の過去の関与が暴かれる場面があります。心麦と松風が訪れたことによって、鳴川と京子の関係が露見し、最終的に警察に追い詰められたのです。
ドラマでは自らの過ちを悔いて自首
一方、ドラマでは鳴川は京子が赤沢を刺した時点ですでに自首しており、赤沢への直接的な加害行為には関与していません。
ドラマ版では、「どこで道を間違えたのか?」と自身の罪を振り返り、最終的に自ら警察に出頭します。これは、娘である阿南に対する父親としての誇りや愛情が背景にあると考えられます。
鳴川のキャラクター設定の違い
原作とドラマでの鳴川の設定には、大きな違いが見られます。
原作の鳴川
- 阿南の父親
- 元・東賀山事件の主任検事
- 妻の苗字を名乗る
- 波佐見弁護士事務所に潜入し情報収集
- 大阪弁を話す、声が大きく人を疲れさせる性格
- 黒いハットをかぶった謎の男として登場
- 久世(松風の父)が旧姓を思い出し、東賀山事件との関与が判明
ドラマの鳴川
- 阿南の父親
- 東賀山事件の主任検事
- 妻の苗字を名乗る
- 波佐見弁護士事務所に潜入し情報収集
- 大阪弁を話す、声が大きく人を疲れさせる性格
- カラビナ付きのリュックを背負い、若者のような服装で登場
キャラクターの基本設定に大きな違いはないものの、原作では「黒いハットをかぶったスーツ姿の謎の男」として登場していたのに対し、ドラマでは「カラビナ付きリュックを背負ったカジュアルな服装の男」として描かれています。
これは視聴者に「リュックの男=波佐見では?」というミスリードを与えるための演出だった可能性が高いでしょう。
事件への関与の違い
鳴川の犯罪への関わり方も、ドラマと原作では異なっています。
原作
- 染田に金を渡し、山下春生を監視させる
- 染田殺害への関与
- 阿波田京一郎、高畠まのか殺害
- 赤沢正殺害未遂(京子と共謀し、突き落とす)
ドラマ
- 染田に金を渡し、山下春生を監視させる
- 染田殺害への関与
- 阿波田京一郎、高畠まのか殺害
ドラマ版では、鳴川は赤沢殺害未遂には関与しておらず、その代わりに自らの罪を悔い、自首する展開となっています。
鳴川と阿南の親子関係の描かれ方
原作では、鳴川が阿南を思う気持ちはあまり描かれていません。しかし、ドラマでは鳴川の「父親としての誇り」が強調されています。
原作
- 阿南の気持ちは描かれるが、鳴川が娘を思う描写は少ない
- 逮捕時、阿南が「お父さん」と呼ぶが、鳴川は「知らない」と返す
ドラマ
- 鳴川は阿南に対して父親としての愛情を抱いている
- 阿南が「知らない」と言い、父を否定する
- 鳴川が娘に「正しい背中を見せるため」自首を決意
この改変により、ドラマは単なるミステリーではなく、「父娘の物語」としての側面をより強調したと考えられます。
クジャクのダンス、誰が見た?鳴川の心情を丁寧に描いたドラマ版の描写とは?
原作にはなかった鳴川の独白をドラマでは時間をかけて描いたのでしょうか?
物語は親子の愛情を描く物語でもあった!
ドラマの公式サイトにはこのドラマの説明が下記のように記されています。
時代を超えた二つの事件に巻き込まれた
TBSクジャクのダンス、誰が見た?公式サイトです
親子の“愛と運命”が交錯する
究極のヒューマンクライムサスペンス開幕!
このドラマは考察する、というミステリー部分を楽しめるように、という製作陣の狙いがあります。
それとは別にもう一つ親子の愛と運命を描くことも重要名要素になっていると思われます。
心麦が実の子ではないと知っても一途に「山下春生」を信じ続ける一途さは視聴者に強く印象に残りました。
それを松風が「真っ当」と表現していましたね。
そんな小麦の姿はドラマの登場人物にも強く影響しているのではないでしょうか?
ドラマでは山下親子以外に、遠藤親子、松風親子も登場しています。
◆遠藤親子:父の冤罪を信じてやまない息子と息子のために控訴を諦めた父親の愛情。
◆松風親子:父親を信じきれず蟠りを持って成長した息子と、向き合うことから逃げた父親との愛情の復活。
をすでに描いています。
鳴川親娘の愛憎にスポット
9話では少々歪んではいますが、父親を目標とする娘に正しい道を見せようと自首する鳴川、愛人の娘として育った阿南の心情を描いています。
鳴川を最終的に動かしたのは阿南の言葉にあった!
自分の罪に苛まれた鳴川は阿南に聞きます。
「もし友哉が冤罪だったらどうするのか」と。
阿南は自分の立場が悪くなると十分承知した上で
「起訴を取り下げます。私は検事なので」
と真っ直ぐに答えまました。
鳴川は阿南が自分が思っていたよりもずっと「正しい検事」であり「父親の心配」など不必要だったことをこの時知ったのです。
阿南は鳴川を憎んでいた?
ドラマでは阿南は父親の鳴川を実は憎んでいたことを告白します。
なぜ自分が鳴川の娘として生まれてきたのか、だからその背中を見続けていきたい。
視聴者の期待した答えとは真逆でしたね。
(私的には阿南は父親を好きだったのかもと思っていました)
原作では全く親子の情については描かれていません。
ドラマでは罪を父親として自ら自首するという鳴川の愛情を描いています。
鳴川は心麦の近くで父親を信じる娘の姿を見ています。その影響で罪を向き合うことに決めたと言うこともあるのだと思っています。
ドラマ版はなぜ鳴川の自首という改変をしたのか?
原作では最終話で事件の真相が描かれますが、説明不足な部分もありました。そのため、ドラマでは最終話の前に鳴川の心情や事件への関与を深掘りし、視聴者に納得感を持たせる意図があったのではないでしょうか。
また、ドラマの公式サイトでは「親子の愛と運命が交錯するヒューマンクライムサスペンス」と紹介されています。親子の絆をより強調するために、鳴川の自首という展開が加えられたのでしょう。
まとめ
ドラマ『クジャクのダンス、誰が見た?』では、鳴川の自首という展開が原作と異なり、親子の関係に焦点を当てた内容となっていました。
原作では鳴川は逮捕され、阿南に対しても冷たい態度を取りますが、ドラマでは「娘に正しい背中を見せる」というテーマが強調されています。
この変更によって、ドラマは単なるミステリーを超えた「親子の物語」として、より感情に訴える作品となっていたのではないでしょうか。