ちびまる子ちゃんが新しい声優さんに交代すると知って久しぶりに見てみました。
まるちゃんの声に全くの違和感がなくて逆にびっくりしました。
よく聞くと違うんだけど全体のテイストは全く問題なしでしたね。」ちょっと気だるさが不足していたように思えましたがすんなり見ることができました。
今回のお話はまる子と友蔵おじいちゃんが野球放送で好きな番組が見られないという話でしたね
子供なのに「コロンボ」が見たいまるちゃん。なかなか永瀬矢紘ものみが渋い!
ところでまるちゃんがしきりに見たがっていた「きんどん」とは何?_
また当時の野球放送事情についてまとめました。
ナイター放送は子供にとっては地獄?
さて当時は野球人気が高くて毎日ナイターの放送がありました。
ビデオなどない時代ですからお父さんが野球を見ていると子供は裏番組を見ることができません。
お父さんは絶対の時代ですから子供は涙を飲むしかありませんでしたね。
延長になると最悪、野球中継の後に放送予定だった番組が遅れてしまいます。
それが毎日ですよ。
まるちゃんの放送でもあったように雨が降ると野球は中止になることが多かったので「やった〜」となるわけです。
まるちゃんがしきりに見たがっていた「きんどん」ってなに?
まるちゃんがしきりに見たがっていた「きんどん」ってなんなんでしょう?
きんどんは「欽ちゃんのドンとやってみよう!」という萩本欽一さんのバラエティ番組です。
タイトルが長いので「欽どん」と呼ばれていだんです。
この番組はフジテレビで土曜の毎週土曜19:30 – 20:54に放送されていました。
素人さんの投稿ハガキを欽ちゃんが読んで面白かった順にバカウケ/ややウケ/ドッチラケ仕分けをしていきます。
欽ちゃんの弄りやコメントが秀逸で面白かったですね。このバカウケは流行語に選ばれました。
金どんには色々なユニットができて大人気になりました。
コント54号(前川清と欽ちゃん)
それまで真面目な歌手のイメージだった前川清さんが面白くて人気者になりました
良い子(山口良一)悪い子(西山浩司)、普通の子(長江健次)
イモ欽トリオとして三人で出したレコードハイスクールララバイは大ヒットしました。普通の子の長江健次さんの「なあ〜〜〜」は人気になりました。
良い妻、悪い妻、普通の妻(全て中原理恵)
中原理恵さんはクールな歌手というイメージでしたが、コメディエンヌとしての才能が開花しました。
一人で3役こなしました。
良いOL(松居直美)悪いOL(小柳みゆき)普通のO L(生田悦子)
松居直美さんはこれで大ブレイク。ちょっと訛りのある台詞回しが可愛かったですね。
良い先生(宮田康雄)悪い先生(柳葉敏郎)普通の先生(武野功雄)
一世風靡セピアで一躍有名になったものの俳優としてはまだ無名に近かった柳葉さん。ちょっと照れた感じが可愛かったですね。悪い先生の武野さんも同じく一世風靡セピア出身でした。
などシリーズ化されて多くの俳優をブレイクさせました。
ちなみにのぞみ、かなえ、たまえの「わらべ」は欽ちゃんのどこまでやるの!「欽どこ」派生のグループです。
ちびまる子ちゃんの時代設定は1974年から1975年なので前川清さんがコント54号として番組内で活躍していた頃ですね。
この番組は土曜日夜84分(約1時間半)の放送でした。今なら特番扱いですよね。
これは余談ですが欽ちゃんは大の野球好きで野球の裏の放送を嫌がっていました。
1981年からは21:00からの放送開始にし、野球のオフシーズンに放送さえるなどの配慮がされました。
静岡では巨人、大洋も人気でした
当時(今も)静岡では巨人が圧倒的な人気でした。
野球放送はいつも巨人戦。
はまじが言っていた「たいよう」は大洋ホエールズのこと。
今の横浜ベイスターズですね。
大洋は春に静岡の草薙球場でキャンプをしていたんです。
それで地元には身近で人気があったんですね。
ハマジが言っていた山下というのは「山下大輔」さんのこと。
まるちゃんと同じ静岡市清水区出身だったので地元では人気がありました。
山下大輔さんは清水東高校から慶應に進学してその後ドラフト会議で大洋ホエールズに一位指名されプロに入りました。
当時の小学生にはまだまだサッカーは新興勢力でまだまだ野球に太刀打ちはできないスポーツでした。
いわば当時の清水では憧れのヒーロー的な存在でした。
この頃はすでに小学生で結成された「オール清水」が強く全国優勝をしていましたが、サッカー自体が今ほど取り上げてはいませんでした。
まとめ
ちびまる子ちゃんの吹き替えが菊池こころさんに交代した初めての回「プロ野球開幕の巻」でまる子が野球の裏番組で見たがっていた「金どん」とその時代の舞台背景についてまとめました。
きんどんというのは当時土曜日にフジテレビで放送されていた「欽ちゃんのドーンとやってみよう!」のこと。
略して「金ドン」と呼ばれていました。
欽ドンは大人気でそこから派生したユニットが次々と人気者になっていきました。
良い子、悪い子、普通の子はイモ欽トリオとして大活躍しましたね。
当時はとの家もお父さんの威厳が強く、一家に一台しかテレビのない家庭がほとんどだったので野球中継があると子供や奥さんは裏番組が見たくても我慢するしかありませんでした。