この記事2024年のパリ五輪から正式種目に採用された「ブレイキン(ブレイクダンス)」。
その日本代表チームのコーチを務めているのが、KATSU ONE(カツワン)こと石川勝之さんです。
KATSU ONEさんは、日本で初めて“ブレイキンのプロ”として活動したダンサーであり、世界を舞台に活躍してきた人物。
日本のブレイキン文化をけん引してきた“レジェンド”と称される存在です。
この記事では、KATSU ONEさんの出身地やプロフィール、輝かしい経歴などをご紹介します。
この記事でわかること
- KATSU ONE(石川勝之)の出身やプロフィール
- ブレイキン界のレジェンドと呼ばれる理由
- 海外大会での実績と文化への貢献
KATSU ONE(石川勝之)の出身地はどこ?
KATSU ONEさんは福井県で生まれ、小学生から高校生までを神奈川県川崎市の武蔵小杉で過ごしました。
ダンスの練習場所としてよく通っていたのが、近くにある「溝の口」。このエリアは今や“ブレイキンの聖地”としても知られています。
大学時代、本格的にダンスに向き合う中で、通学途中に見つけた溝の口での練習がKATSU ONEさんの原点となりました。
当時は「ブレイクダンス=不良の遊び」というイメージが強く、地元の理解も得にくい状況。それでも仲間たちと協力し、地域の祭りへの参加や交番への届け出など地道な努力を続けて、地域社会との共存を実現させました。
現在では、五輪を目指す若い選手たちが川崎に移り住むほど、ブレイキンの重要拠点に成長。
その背景には、KATSU ONEさんの存在と地道な取り組みがあるのです。
KATSU ONE(石川勝之)プロフィール
本名は石川勝之 KATSU ONEはダンサーネームです。
ダンサーネーム | KATSU ONE(カツワン) |
名前 | 石川勝之(いしかわかつゆき) |
生年月日 | 1981年7月21日(42歳2024年5月現在) |
大学 | 日本体育大学 |
資格 | 教員免許 |
出身 | 福井県生まれ 小中学を武蔵野小杉で過ごす |
部活 | 高校 バレーボール |
両親の職業 | 教師 |
インスタグラム | https://www.instagram.com/katsu_one/?img_index=1 |
エックス | https://twitter.com/bboykatsu1 |
ちなみに、ブレイキン界のダンサーにはかっこいいニックネームが定番。
例えば、半井重幸さんは「Shigekix」、米澤脩斗さんは「HARUTO」など。
「KATSU ONE」もヒップホップらしいクールなネーミングですね。
なお、身長は公表されていませんが、ナイナイの岡村さん(身長156cm)と並んだ写真から、およそ170cm前後と推測されます。
KATSU ONE(石川勝之)さんは結婚してる?
プライベートに関する情報は多くありませんが、2014年に「自分の結婚式の二次会」についてのポストが確認されています。
【拡散クッソ希望です】
— KATSU ONE (@bboykatsu1) September 24, 2014
自分の結婚式の二次会のLINEが回っている人にお願いがあります。できるだけ早めに人数などを箱側に伝えなくちゃいけないので、参加される場合は参加メールを出来れば明後日までに送って下さい!よろしくお願いします!!
また、インスタグラムにも家族への感謝を綴った投稿があり、現在は既婚者であることは確かです。
奥様やお子さんについての詳細は公表されていませんが、情報が入り次第、追記していきますね。
KATSU ONE(石川勝之)レジェンドと言われる驚きの経歴とは?
略歴
2014年ごろ | ブレイキンに出会う | |
2000年 | 18歳 | 日本体育大に入学。本格的にブレイキンを始める |
2005年 | 23歳 | ニュージーランドで開かれた国際大会で初優勝 |
2007年 | 27歳 | 米国での大会「FREESTYLE SESSION」で優勝 |
2009年 | 29歳 | 韓国で開催の「R-16」で優勝 |
2010年 | 30歳 | オーストラリアに移住。13年に永住権を取得し帰国 |
2013年 | 33歳 | 株式会社「IAM(アイアム)」を設立 |
2017年 | 37歳 | 公益社団法人「日本ダンススポーツ連盟」のブレイクダンス部長(現・本部長)に就任 |
2018年 | 38歳 | ユース五輪ブエノスアイレス大会でブレイキン日本代表監督を務める |
2020年 | 40歳 | ブレイキンがパリ五輪(24年)の追加種目として正式採用 コーチに就任 |
公益社団法人日本ダンススポーツ連盟(Japan DanceSport Federation、略称JDSF)とは
日本におけるダンススポーツの統一組織です。JDSFはダンススポーツの振興を図り、国民の心身の健全な発達に寄与することを目的としています。
JDSF内にはブレイクダンス部があり、このチームはBREAKINGに関するプロジェクトに特化しています。ブレイクダンス部の主な活動内容は以下の通りです
- 日本代表選考業務:世界ダンススポーツ連盟(World DanceSport Federation、略称WDSF)との連携を通じて、日本代表選手の選考を行います。
- 選手強化業務:日本オリンピック委員会(JOC)との連携により、選手のトレーニングやサポートを行います。
- マーケティング業務:スポンサーやメディアとの連携を通じて、ダンススポーツの普及と認知度向上を図ります。
ブレイキンとの出会いと原点
KATSU ONEさんがダンスに魅せられたのは中学生の頃。
『マイケル・ジャクソンのスリラー』や『ダンス甲子園』に影響を受け、回転技に衝撃を受けたのがきっかけでした。
日本体育大学に通いながらブレイキンに本格的に取り組み始めます。教職課程と並行して、毎日7〜8時間ダンスの練習に明け暮れました。
2000年、本格的にブレイキンを始める
本格的にブレイキンに取り組む決心をしたのは、大学に進学してから。
体育教師を目指していたKATSU ONEは、ダンス教室に通いながら、大学や路上で友人たちと毎日7、8時間も練習を重ねました。
海外遠征で学んだマインドセット
大学1年生の冬休みにロサンゼルスの世界大会を見に行き、現地チームに飛び入り参加。
結果は予選敗退だったものの、「アメリカのダンサーの自信に満ちた姿勢に感動した」と語っています。
続いて春休みにはオーストラリアへ単独渡航。現地のダンサーと交流し、視野とネットワークを広げました。
世界大会での優勝とプロダンサーとしての地位確立
- 2005年:ニュージーランドの国際大会で初優勝
- 2007年:「FREESTYLE SESSION」で優勝(米国)
- 2009年:「R-16」優勝(韓国)
こうした実績により、日本で初めて“ブレイキンのプロ”と認定される存在に。
“草分け的存在”として、国内外のダンサーたちから尊敬を集めています。

文化の普及とオリンピックへの道

2013年に株式会社IAMを設立。
2017年には「公益社団法人 日本ダンススポーツ連盟(JDSF)」のブレイクダンス部長に就任し、ユース五輪やパリ五輪代表の監督・コーチとしても活躍しています。
JDSFでは以下のような取り組みを通じて、ブレイキンの発展に貢献しています。
- メディア・スポンサー連携による認知度向上
- 日本代表選手の選考
- トレーニング支援
グローバルな視野とネットワークが認められ指導的な立ち位置に
ユースオリンピックでブレイキンが正式種目となってから、ブレイキンのスポーツ化に積極的に関わるようになりました。
2017年に日本ダンススポーツ連盟(JDSF)に「ブレイクダンス部」が設立され、初代部長として活動を始めました。
2024年のパリ五輪に向け日本オリンピック委員会ダンススポーツ/ブレイキン部門の専任コーチングディレクターに就任。
指導だけでなくまだまだ現役のダンサーとしての活動も行っています。
グローバルな視野とネットワークを活かして

アメリカやオーストラリアなどの海外での経験を通じて、多くの国際的なダンサーと交流し、ブレイキンの技術と文化を学んでいます。
広いネットワークと行動力は、日本国内だけでなく、世界中のブレイキンシーンでの活躍を可能にし、グローバルな視野を持つダンサーとしての地位を確立しています。
このような国際的な経験とつながりも、彼が「レジェンド」と呼ばれる所以です
まとめ
KATSU ONEの出身は神奈川県川崎市、ブレイキンの聖地溝の口に近く、武蔵小杉です。学生時代には溝の口でダンスの練習をしていました。まさに溝の口はKATSU ONEのルーツとなる場所です。
KATSU ONEというのはダンスネームで本名は石川勝之。川崎市出身、2024年5月で42歳。
中学の時に「ダンス甲子園」に憧れでダンスに興味を持ち大学で本格的にブレイキンにのめり込みます。
彼がレジェンドと呼ばれる経歴の凄さは
海外での輝かしい実績
ブレイキンの啓蒙と子供達の育成に尽力
海外生活で得たグローバルな視野とネットワーク
の3つに代表されます。
ブレイキンのレジェンドKATSU ONEがコーチを努めるパリオリンピックでのブレイキン日本チームの活躍が期待されます。