1970〜80年代にかけて人気を博したロックバンド「ツイスト」のボーカルとして知られ、今もその力強い歌声と人間味あふれる言葉で多くのファンに支持されています。2025年には政治の世界へ挑戦する姿勢を見せ、改めて「どんな家庭で育ったの?」と注目が集まっています。
この記事では、世良公則さんの実家・出身地・家族構成について、本人が語ったエピソードをもとに詳しく紹介します。
この記事でわかること
- 世良公則さんの出身地と実家の場所
- 両親や祖母との家族エピソード
- 声のルーツにつながる「おばあちゃんの声」
- 厳しいしつけと両親の教育方針
- 音楽活動を支えた家庭の環境
世良公則の実家と出身地は?|広島県福山市出身
出身地は広島県福山市|県営住宅で過ごした幼少期
世良公則さんの出身地は広島県福山市です。
地元の学校を卒業後、大阪の大学進学をきっかけに家を出るまで福山で暮らしました。
世良さんは、福山時代について「ごく普通の家庭で育った」と語っていますが、実家は当時、県営住宅の3階だったといわれています。
決して裕福ではなかったものの、家族の支えと地域の温かさに包まれながら育ったといいます。
広島県福山市は、瀬戸内の穏やかな気候と「ばらのまち」として知られる地域。
ロックという都会的な音楽を志した世良さんにとっても、地元の人情や素朴な文化は心の支えとなったようです。
のちの音楽人生に通じる「人間の強さや優しさ」を感じさせる言葉や表現の原点は、この福山での経験にあるといえるでしょう。
祖母は僧侶|声のルーツはおばあちゃんの読経の声
世良公則さんは、2024年放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演した際、母方の祖母について次のように語っています。
「母方はお寺なので。祖母が早くにおじいちゃんを亡くして、女の身でありながら僧侶になってお寺を支えてきた。おばあちゃんの声は腹の底から響くようで、本堂がビリビリ震えるくらい。親戚中が“公則の声はおばあちゃんのDNAだ”と言っていた」
世良さんの母方の祖母は、夫を亡くしたあとに住職としてお寺を継いだ僧侶でした。
法要で読経する声は本堂を震わせるほど迫力があり、その声質がのちの世良さんの歌声にも受け継がれたといいます。祖母の存在は、彼にとって「声の原点」であり、芸能活動を始めてからもその影響を強く感じていたことがうかがえます。
両親は公務員|厳しくも温かいしつけと教育方針
両親はともに公務員で、母親は今でいう保育士だったと世良さんは話しています。
「大事な年齢の子を預かっているんだから、きちんとしなさい」と常に言い聞かされていたそうで、電車やバスの中では「子どもは立っていなさい」と厳しくしつけられたといいます。
一方で、お母さんはロックを始めたときに一度も反対しなかったとのこと。
世良さんが音楽への道を目指すことを父親に話した時に4年間だけチャンスを与えるという約束だったことがわかっています。
特に父親は音楽について何も口を出さなかったものの、亡くなった後に父の友人から「酔っぱらうと、あんたのバラードを歌ってくれるんだよ」と聞かされ、初めて父の本音を知ったそうです。
表立って褒めないながらも、息子の活動を誇りに思っていたことが伝わります。
このような厳しさと愛情のバランスこそが、世良さんの人間的な深みや誠実さを育てた家庭環境といえるでしょう。
世良公則の国籍は?SNSで噂された理由と真相
国籍は日本|公式情報にも明記
世良公則さんの国籍は日本です。
所属事務所や公的プロフィールでも明確に日本国籍として登録されており、二重国籍や外国籍といった事実は一切ありません(出典:テイチクエンタテインメント公式サイト)。
SNS上で一部に流れた「外国籍では?」という情報は誤りです。
SNSで噂が広がった背景
こうした噂が拡散した背景には、世良さんが社会問題や政治について率直に意見を述べる姿勢が関係しています。特に、選挙制度や若者の政治参加に関する投稿が注目された際、一部のユーザーが思想的立場を誤解し、出自や国籍にまで言及するケースが見られました。
しかし、これらの投稿はいずれも根拠のない憶測に過ぎず、本人が否定したり釈明した事実もありません。むしろ世良さんは、芸能活動を通して「日本の文化や地域を大切にしたい」という信念を繰り返し語っています。
信念ある発言が誤解を呼んだ可能性
世良さんの発言は、政治的主張というよりも「今の日本社会を良くしたい」という想いから発せられたものです。
メディア露出の多い人物ほど、発言の一部だけが切り取られ、誤解を生みやすい傾向があります。
国籍に関する噂もその延長線上にあるもので、事実としては世良公則さんは日本国籍を持つ生粋の日本人です。
世良公則の学歴|出身中学・高校・大学まとめ
世良公則さんは広島県福山市出身で、音楽との出会いが学業と並行して始まりました。
最初の音楽との出会いは3歳の時のバイオリンです。近所に住んでいる人がバイオリンを習っていてその音に憧れてバイオリンを習い始めました。
中学時代の経験からロックへの関心が高まり、高校・大学ではバンド活動に熱中。ここでは中学から大学までの学歴と音楽活動の歩みをまとめます。
中学時代の音楽との出会いとロックへの転向
世良さんがロックに本格的に触れたのは、中学時代のことです。
地元の福山市立向丘中学校に通い、当時はバレーボール部に所属していました。
部活動の傍ら、海外のロック音楽に触れる機会があり、特にローリング・ストーンズの「Paint it Black」を聴いたことで衝撃を受けます。この体験がきっかけで、ロックに強い関心を抱くようになりました。
ギターを初めて手にしたのは13歳。もともと幼少期からバイオリンを習っていたため譜面は読め、楽器演奏への適応も早かったといいます。
この時期に音楽への情熱が芽生え、後のバンド活動への土台が築かれました。
高校・大学時代のバンド活動と芸能界デビューへの道
中学時代の音楽体験を経て、世良さんは福山葦陽高校に進学。
偏差値はおよそ50前後で、公立高校として一般的な学力層の学校です。
高校時代、同級生に誘われてベースとしてバンド活動を始めたことが、のちに「ツイスト」の結成につながります。
大学は大阪芸術大学 芸術学部放送学科に進学。
芸大はとてもお金がかかります。前章で語ったように反対をしなかったご両親も息子の想いや夢を実現させるための愛情を感じます。
世良さんは音楽活動と学業を両立させながら、在学中に結成したバンドで頭角を現します。
1977年、「ツイスト」はヤマハ主催の音楽コンテスト「ポプコン」でグランプリを獲得。
その翌年には『あんたのバラード』でメジャーデビュー。
ハスキーで情熱的な歌声と力強いパフォーマンスで、一躍スターダムにのし上がります。
同時期にデビューした「サザンオールスターズ」と若者の人気を二分しました。
世良公則の芸能経歴|バンド活動と俳優としての活躍
世良公則さんは音楽と俳優の両方で長年活躍してきました。
大学在学中に結成したバンド「世良公則&ツイスト」でデビューし、1970年代後半から日本のロックシーンを牽引。ハスキーで情熱的な歌声と個性的なパフォーマンスで多くのファンを魅了しました。また、音楽活動と並行して俳優としても活動し、テレビドラマや映画で幅広い役を演じています。
バンド「世良公則&ツイスト」とデビューの軌跡
世良公則さんは1977年に大学在学中に結成したバンドで、ヤマハ主催の音楽コンテスト「ポプコン」でグランプリを受賞。これがメジャーデビューへのきっかけとなりました。1978年のデビュー曲『あんたのバラード』は大ヒットし、以降もヒット曲を連発。
ライブパフォーマンスでも圧倒的な存在感を発揮しました。
| 年 | 活動内容・曲名 | 備考・特徴 |
|---|---|---|
| 1977年 | ポプコン グランプリ受賞 | 大学在学中に結成したバンドで受賞、デビューへのきっかけ |
| 1978年 | 『あんたのバラード』 | メジャーデビュー曲。熱い歌声とロックサウンドで大ヒット |
| 1978年 | 『宿無し』 | ハードロックナンバー。ライブで人気 |
| 1978年 | 『銃爪(ひきがね)』 | 社会派歌詞が話題に。オリコン1位・約60万枚売上 |
| 1978年 | 『性(さが)』 | 挑発的テーマで賛否両論、根強いファン多数 |
| 1979年 | 『燃えろいい女』 | ロックンロール調で人気、カラオケ定番曲 |
| 1979年 | 『宿無し(ライブ版)』 | パワフルなライブパフォーマンスが話題 |
俳優としてのテレビ・映画出演
音楽活動の傍ら、世良さんは俳優としても幅広く活躍。
1980年代には『太陽にほえろ!』のボギー役で多くの視聴者に親しまれ、近年では優しい父親役なども演じています。代表作をまとめると、出演作や役柄の特徴がひと目で分かります。
| 放送年 | タイトル | 放送局 | 役名・備考 |
|---|---|---|---|
| 1982〜1984年 | 『太陽にほえろ!』 | 日本テレビ系 | 春日部一(ボギー)刑事 |
| 1984年 | 『25才たち・危うい予感』 | 日本テレビ系 | 服部幹夫/主題歌も担当『導火線』 |
| 1985年 | 『影の軍団IV』 | 関西テレビ・フジテレビ系 | 坂本龍馬 |
| 1987年 | 『連続テレビ小説 チョッちゃん』 | NHK総合 | 岩崎要 |
| 2011年 | 『マルモのおきて』 | フジテレビ系 | 畑中陽介 |
| 2012年 | 『連続テレビ小説 梅ちゃん先生』 | NHK総合 | 坂田俊一郎 |
| 2015年 | 『下町ロケット(後編)』 | TBS系 | 貴船恒広 |
| 2021年 | 『連続テレビ小説 カムカムエヴリバディ』 | NHK総合 | 柳沢定一/柳沢健一(二役) |
このように、世良公則さんはバンド活動・ヒット曲・俳優活動の全てで実績を積み上げ、音楽ファンだけでなく広い世代に知られる存在です。
世良公則の政治活動|無所属出馬と思想の一端
世良公則さんは2025年の参議院選挙に無所属で出馬しました。音楽や俳優として長年活躍してきた中で、社会問題や文化・芸能支援への関心が高まり、政治に直接関わる必要性を感じたことがきっかけです。無所属での立候補は、特定政党に縛られず自分の信念に基づいて活動する意思の表れといえます。
主なポイントは以下の通りです。
- 出馬理由の一端:音楽活動を通じて芽生えた社会問題への関心から、政治に直接関与する必要を感じた
- 政治的発言:SNSやメディアでコロナ支援や文化芸能支援、動物愛護などの社会課題に関する意見を発信
- 「ステルス自民党」との噂:無所属ながら保守的政策への共感や高市早苗氏との対談を理由に一部で噂に
- 本人の姿勢:特定政党に属さず、「右でも左でもなく真ん中から未来を考える」と説明
- 選挙結果:2025年参議院選挙では落選。無所属ながら注目度の高い立候補で、政治経験のない著名人の挑戦として話題となった
音楽・俳優として培った発信力を背景に、世良公則さんは中立的な立場で社会や政策に関わる姿勢を示しました。落選に終わったものの、政治活動への関心と発信力は多くの注目を集めました。
こうした一連の発言から、世良公則さんはコロナ禍をきっかけに「声をあげる社会的責任」を自覚し、音楽・文化分野の視点から政治や政策に関与する姿勢を強めていると言われています。
この度、私し、世良公則は
— 世良公則 (@MseraOfficial) July 1, 2025
2025年27回参議院選挙において
私の人生で最も影響を受けた
大阪地区から無所属として
立候補する事を決意致しました。
外国人土地取得規制
オーバーツーリズム対策
再エネ賦課金廃止
積極財政、減税による経済対策等
を公約と致します。…
まとめ:世良公則の出身地・実家・学歴と経歴まとめ
世良公則さんは広島県福山市出身の生粋の日本人で、祖母が僧侶という家庭で育ちました。両親は公務員で、母は保育士として厳しくも愛情深く接し、音楽活動にも理解を示していたことが印象的です。
学歴は福山市立旭小学校、福山市立向丘中学校、福山葦陽高校を経て、大阪芸術大学芸術学部放送学科を卒業。中学でのロックとの出会いをきっかけに音楽の道へ進み、高校・大学時代に結成したバンド「ツイスト」で芸能界デビューを果たしました。
歌手としては『あんたのバラード』『銃爪』など数々のヒット曲を生み出し、俳優としても『太陽にほえろ!』『マルモのおきて』『カムカムエヴリバディ』などで幅広く活躍しています。
2025年の参議院選挙では無所属で大阪選挙区から出馬しましたが落選。音楽・俳優としての経験を背景に、社会問題への関心や中立的な視点での政治参加を目指す姿勢を示しました。
世良公則さんの人生は、広島での家庭環境や学び、芸能界での成功、そして政治への挑戦が一体となった軌跡といえます。

