2022年史上2人目の女性審査員として『M-1グランプリ』決勝戦の審査員を務めた山田邦子さん。
審査の採点が厳しすぎるなど視聴者からの批判を受けることとなりましたが、すっかり忘れられていた彼女は一躍時の人となりました。
私としては山田邦子さんはすっかり過去の人、もしくは深夜の通販の人、と言うイメージですが、ついに「金スマ」で特集を組んでもらい
またまた注目を集めています。
これって人気復活の兆し?それとも?
山田邦子さんの旦那様は株式会社ゴッズダイナミックワールドの代表取締役後藤史郎氏。
長身でイケメン、テレビ番組の制作会社の社長さんです。
都内の一等地に8億円の自宅を構えるお金持ちでもあります。
この会社の手がけた番組を見てみると…
- TBS系
- 「爆報! THE フライデー」
- 「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」
- 「COUNT DOWN TV」
- 「あさチャン!」
- 「ひるおび!」
- 「関口宏ニッポン風土記」 (BS-TBS)
- 「昭和歌謡ベストテン」(BS-TBS)
- テレビ朝日系
- 「GET SPORTS」
- テレビ東京系
- 「モーニングサテライト」
- TOKYOMX
- 「5時に夢中!」
なかなか人気番組を手がけています。
そうです。この中に中居正広の金曜日のスマイルたちへがありますね〜。
旦那様の会社の制作だからブッキングしやすかったのか?とか、コネ?ゴリ押し?とか穿った見方をしてしまいます。
でも山田邦子さんがかつて絶大な人気を誇るタレントであったことは紛れもない事実です。
デビューから超人気になるまでの山田邦子
山田邦子はぽっと出の芸人ではありませんでした。
素人時代から「テレビジョッキー」「ドレミファドン」などの番組に出演し、素人参加番組では山田邦子さんは常連となっていました。
当時テレビ業界ではとんねるずと山田邦子さんは有名だったそう。
フジテレビのお昼の帯番組「笑っている場合ですよ」のコーナー「お笑い君こそスターだ!」に出演しチャンピオンになるとプロに。
笑っている場合ですよのコーナーはツービートが担当。その後同じ太田プロに入っているのでビートたけしさんもその実力を認め同じプロダクションに誘ったのでは?と想像します。
この年1981年山田さんは全日本有線放送大賞新人賞を受賞しています。
デビューは20歳で翌年〜数々の芸能賞を受賞しています。
この時披露したバスガイドネタの漫談が大受けし山田邦子さんはブレイクを果たしました。
懐かしいぶりっ子ネタ。ぶりっ子は山田邦子さんが言い出した言葉だとか。
最盛期のレギュラー番組は週14本!
全盛期には週に14本のレギュラーを持ち寝る間もなかったという山田邦子さん。
凄いのは自分の名前が入った冠番組を複数持っていたことではないでしょうか?
邦ちゃんのやまだかつてないテレビ(フジテレビ)
山田邦子の旅くらぶ(日本テレビ)
邦子と徹のあんたが主役(テレビ朝日)
邦子がタッチ(テレビ朝日)
おまかせ!山田商会(テレビ東京)
関口・邦子のびっくりトーク ハトがでますよ!(読売テレビ)
山田邦子のしあわせにしてよ(TBS)
これほんの一部ですw
ほとんど毎日何かしらの番組に出演されていましたね。
各テレビ局には山田邦子さん専用の就寝できる部屋が用意されていたといいます。
「唯一天下を取った女性ピン芸人」と言われるのは不思議ではありません。
NHK高感度ランキング7年連続一位!
1988年から1995年まで、NHK「好きなタレント調査」において8年連続で第1位となっています。

人気に翳りが…
突然の人気番組の打ち切りはなぜ?
邦ちゃんのやまだかつてないテレビ(フジテレビ)は超絶人気番組でした。
番組内からは人気ユニット
「やまだかつてないWink」の「さよならだけどさよならじゃない」
KANの「愛は勝つ」
大事マンブラザーズバンド「それが大事」
永井真理子「ハートをWASH!」
などヒット曲もたくさん生まれました。
金スマで山田邦子さんが「同志」と呼んだ渡辺徹さんはこの番組のサブMCだったんですよね。
やまだかつてないテレビが始まったのは1989年10月。終了したのが1992年3月までとわずか3年と短い期間でした。
理由はフジテレビの番組改編時の方向性と言われていますが、最近山田邦子さんが語った話によると
山田の代表番組である「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」はKANの「愛は勝つ」や大事MANブラザーズバンドの「それが大事」、「やまだかつてないWink」の「さよならだけどさよならじゃない」などのヒット曲を生み出す人気番組だった。
親友の歌手・大江千里と始めた番組だったが「KANちゃんが『愛は勝つ』でガーっと来て千ちゃんが出なくなったんですよ。そしたら次に大事MANが来たんですよ。そしたらKANちゃんが出なくなったん」と明かした。
「千ちゃんと仲がいいから『酷いじゃないか。一緒にやったのに切られた』みたいなことを言われたときにハッとして。ブッキングのことなんて口出したこともないし全然分かってなかった。傷付けたんだなと思って」と振り返った。
次の人が出たら前の人を切るようになっていたようで「ちょっとそれで嫌になっちゃった。そういう事が嫌い」とキッパリ。
そして大事MANブラザーズバンドが切られ、次のアーティストが現れ山田は「何だこれと思って。(共演者の渡辺)徹と森末(慎二)さんに『迷惑をかけてなかったか』って。こんなに楽しいことやってるのに陰で泣いたり、嫌だなと思う人がいるんだったらやめようと思って言ったら『ずっと我慢してた』って言われて『じゃあすぐ辞める』と言ってその次の月に辞めちゃった」と真相を明かした。
出典::東スポewb
正論と言えば正論ですが、番組製作側からすればとんでも無い話。どれだけの人に迷惑をかけたことか。それが気づかなかったのは若かったと言うのと
売れっ子で天狗になっていた、と言われても仕方ないですね。その後、フジテレビも使いづらいタレントとして彼女を見ていたと思います。
裏番組の台頭と露出しすぎの影響
1995年に始まった冠番組、「山田邦子のしあわせにしてよ」(TBS)は「笑っていいとも」「午後は○○おもいッきりテレビ」の裏のお昼の帯番組でした。
視聴率は裏番組に勝つことはできませんでした。この頃から山田邦子のバッシング記事が増え、NHK高感度ランキングも落ちていきました。
そして決定的なあの記事が…
決定的となった番組プロデューサーとの不倫報道
1995年FOCUSに現旦那様の後藤史郎氏との不倫報道をされてしまいます。
当時山田邦子さんは記者の質問に「交際はしていません」と否定しましたが報道陣は執拗に山田さんを追い回し
とうとうブチギレた山田邦子さんがレポーターに「お前モテないだろう」「馬鹿じゃないの」と発言したVTRが放映されてしまいました。
そのレポーターは井上公造さんなんですけどねw
実は不倫相手の後藤史郎氏は先に紹介した番組「しあわせにしてよ」でプロデューサーとして番組に関わっていました。
この番組が始まる時山田邦子さんは「自分が結婚するまで番組を続ける」と意気込みを語っていました。
自身が結婚するどころか不倫報道に晒されてしまい番組は2年で打ち切り。なんとも皮肉な結果となってしまったわけです。
この時は交際していたのを否定した山田邦子さんですが、その後、後藤氏は離婚し二人は2000年にゴールインしています。
幸せそうな結婚写真を披露していますが、不倫された奥様やお子様はこの写真をどんな風な気持ちで眺めたのでしょうか?
お気持ちを考えると辛いですね。
結局過剰な露出が飽きられてアンチが増えていっていたところにフォーカスのゴシップ記事が追い討ちをかけたのだと思われます。
山田邦子は再ブレイクを望んでる?
露出が減っていたのは乳がんを患ったことが大きいかと思います。
山田さん自身はテレビ番組が減って時間に余裕ができて勉強や好きなことができるようになったと語っています。
実際癌に対する啓蒙活動やボランティア活動に精を出されいますし、深夜の通販番組にも出演されていて再ブレイクには興味がなかったように思えます。
旦那様が高収入ですし、生活に困っているわけでは無いでしょうしね。
今回は旦那様のコネでの出演かと。
今後はヒロミさんのようにコメンティエーターの仕事が増えてテレビで見かける日が多くなるのかもしれません。
まとめ
最近テレビ出演が増えている山田邦子さんの旦那様はテレビ番組の制作会社の社長でヒット番組のプロデューサーです。
金スマの出演は旦那様のコネもあるのではないでしょうか?
長身、イケメンで山田邦子さんが奥様がいても恋に落ち略奪婚した気持ちはわからなくもありません。
M1の審査員としての評価は「他の人と同じでは自分が審査員をする意味がない」と独自の基準で点数を出したそうですが
なかなか「やる気」を感じさせる発言ですね。
60歳過ぎてからの再ブレイク。これから見守って行きたいと思います。